君の名は。 なんで繰り返し見たくなるのかという個人的な話と個人的な理由(ネタバレあり)

雑記

 

 

「君の名は。」面白いですね。
1回目見たときは衝動的にパンフ買って、サントラのボーカル有り曲を全部買って、自宅に帰ったと同時に次の日の上映を予約するという暴挙に出ました。
「半分の月がのぼる空」並みのどハマり具合をしております。ここで「半月」の話題まったく出したことないのでわかりづらくて申し訳ないのですが、個人的に10年ぶりの神作品という評価になっております。

 

 

さて、この映画、毎回終盤以降に差し掛かると
「もう1回最初から見たい……」
って思う謎の衝動に悩まされているのです。いや別に悩むほどのことじゃないんですけどなんとなく文脈的に悩みと入れるのが一番近いのかなって思って

 

ネタバレありなので具体的にいうと、
「スパークルの歌詞に乗ってティアマト彗星が糸守町に落ちた後のエピローグ的シーン」
あたりから強烈にもう一度最初の方を見たいって思うのですよね。

 

最終兵器彼女とか、エヴァンゲリオンとか、まどか☆マギカとか、あの辺りでも最初の方が気になったりするのですが、あれは「もう戻れない日常に胸を締め付けられたい」というなんともドM的な倒錯してそうなアレな感情なのですが、「君の名は。」の場合はなんとなく違う感じ。

 

なぜそんな感情を抱くのか?

 

この前3回目見終わってようやく気づきました。
「序盤の入れ替わりの日常を、エピローグ後に瀧と三葉が歩むであろう日常と重ねてたから」
でした。

 

映画見た方なら既にご存知の通り、映画は瀧と三葉が再び出会ったところで終わります。なのでその後どうなったかってのがまったく描かれません。まったく描かれてないからこそその後の妄想が捗ってPixivとかでも面白いアフター色々あったりするんですけど……はいちょっと脱線しました。

三葉を救えたのかどうかが作品の焦点だからあの辺り全部が”その後どうなったか”なんですけど、やっぱりどうしてもその先が気になってしまうものです。
そういうなんとなく「2人はこの後どんな日常を歩むのか?」という疑問から、2人の日常を見たくなって、結果として、それに一番近い最初の入れ替わり日常を見たくなってしまうという心理なんでしょうね。

 

というわけで「最後まで観ると、また最初から見たくなる」という構成にずるいなあ(褒め言葉)とか感じつつも、近いうちに4回目を見てきたいと思います。

 

岐阜の方言ヒロインはいいぞ٩( ‘ω’ )و

 

 

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